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「歴史から学べ」
最近特によく聞く言葉だ。
でもどこの歴史から学んだらよいのやら。。。
歴史音痴です、私。特に近代史が苦手。
変に考え込む癖があるので、「歴史から学べ」と言われたら邪馬台国の時代からやらないと、、、と思ってしまう。
そこまで飛躍する必要もないはずなのだが、どこから始めたらいいのか分からなくなる。
今年に入って、歴史のことに詳しい人がまわりに増えた。
そして、その人たちの中にいる時、話に加われない自分がいるのに気が付いた。
何となくその場はクリアできるのだが、きっと近い内に見破られる!そう思ったらちょっと焦ってしまった。
そんな時に目にしたのが、心斎橋そごうで先日行われた安野光雅氏の「絵本平家物語」の展覧会だった。
安野光雅氏をご存知だろうか?
安野光雅氏は画家、装丁家、そして絵本作家である。
私が始めて安野氏の絵本に出逢ったのは、まだ専門学生だった頃、梅田にある紀伊国屋書店の絵本売り場だった。
細かなその描写がとても気に入り感動したものだ。
あれから長い年月を経て、またこうして出逢うのも何かの縁のような気がした。
展覧会には、老若男女いろいろな方が訪れていた。
熱心に見入る視線の先にあるその絵は、当時感動したそのものだった。
エッシャーに影響を受けて、安野氏は「ふしぎなえ」という絵本を描いている。この作品がデビュー作。
ラビリンスのようにその絵の中では、どこが始まりでどこが終わりか分からない。
でもその絵の中で描かれているもの全てが息づいているのだ。
そして今回の展覧会の目的である「絵本平家物語」を観た。
祇園精舎の鐘の音。諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を表す。
奢れるものも久しからず ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ。
この文頭のあまりに有名な文章を高校時代に国語の先生に憶えさせられたことだけが記憶に残るのみ。
そして最後は実家の下関の壇の浦で最後を遂げる。。。この程度の知識の「平家物語」。
そこには、文章はなくタイトルだけが記され絵がかかっていた。
その絵を観て進むと、遥か遠い日の物語が目の前で繰り広げられている錯角に捕らわれた。
人の声、馬のひずめの音、めらめらと立ち上る炎。。。
貴族の普段の服装、戦のために着られた服装。
庶民の服装や、農民の服装。
いろんなことが気になってきた。
さらに屋敷、山や川、海の色。
それらが一気にそこの絵から押し寄せてきた。
そして、今オーディン相手に、家でその「絵本平家物語」を音読する日々が続いている。
さらに私を虜にするものが出現した。
それが、脇本祐一氏の「豪商たちの時代」だ。
徳川三百年は「あきんど」が創った、、、というサブタイトルが付いている。
今の世の中、これからどうしていったら良いのか?と悩む事が多い時代にあって、
この本は将来の方向を見つけるひとつの光になるのかもしれない。
教科書などからは感じられない江戸の時代を生きている商人たちが
商業や経営、さらに思想・学問、芸術・文化、都市建設などにその持てる智恵を遺憾なく
発揮している様子が活き活きと描かれている。
武士ではなく商人がその時代を創った。。。ことが書いてある本なのだ。
どうしても歴史の話になると、幕府中心に書かれている事が多い。
その幕府の元で商人や庶民はどう生活していたのか、そんな疑問に応えてくれる本なのだ。
そしてその商売の方法が時代を越えて、今の私たちの参考になるとしたらそれこそが、「歴史を学べ」になるに違いない。
この本の著者である脇本祐一氏はもともと新聞社で編集委員をされていた方。(脇本氏は今年、私を刺激したひとりだ)
だからだろうか?
その文に読み手を感じるのは。
そして溢れる想像力。
それこそが、歴史を語るポイントなのだろう。
今ではない時代。
全ての記録がない状態で、こうではなかろうか?どうだったはずだ、こんな風になったからこうなった、、、などと
想像の世界の住人になり、残されている記録と比較しながら探ることによってその歴史が蘇ってくるだろう。
ここ最近の私の「歴史から学べ」の状況はこんな具合なのである。
これを機会に、取っ掛かりになった「絵本平家物語」と「豪商たちの時代」の近辺からまた新たに歴史を探ってみようか。
「歴史から学べ」という言葉は、全てに通じる言葉だろう。
今の私が求めているものを歴史の中から探し出し、そして学んでみよう。
そして将来、歴史に学び、歴史に学んで、新しく来る時に、世界を目指していたら最高である。。。
(
次回につづく) |
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