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遥かな国へのかすかな想い出に 心踊らせて。 前回の続きをお楽しみください。
縫製メーカーのサンプル室はこぎれいなビルの一角にありました。
サリーを付けた女性達が器用にサンプルを縫っていました。
サンプル室はサリーを纏う女性達でとても華やかでした。
その中に混じって縫製の指示をしていると色黒の私はインドの女性群の仲間入りをしているようでした。
・・・余談ですが、キャセイパシフィックのマレーシア人のスチュワーデスのお姉さんは、日本語の本を読んでいる私を不思議そうに見て
「日本語は難しくないですか?」と英語で質問を。思いっきりインド人と間違えられてたようで・・・
さて、サンプル室は海外から来るバイヤーのためにホントに綺麗にしていました。
でも私はそんな綺麗なところではなく現場が見たかったのです。
一体どんな環境でどんな人たちが私の依頼した糸を作り生地を作り、そして製品を作っているのだろうか?
そんな風に考えるとどうしてもその現場を見たくてたまりませんでした。
メーカーから、その生地の染めをしている現場に行ってみないか?という提案があった時はホントにうれしかったです。
綛(かせ)染めと言われるその独特な染め方は知識としては知っているものの、自分の目で見るのは初めてでしたから。
こんなチャンス滅多にない!!と結局予定を変更して現場を見に行くことになったのです。
バンガロールから飛行機で1時間半くらいのフライト。
もちろん国内線です。このあたりの国内線になると機内食が「一体これは何?」的なものになっていきます。
こわごわ口にした機内食は意外と美味しくてびっくりでしたが。
この時一緒に行っていた日本人は、私の他に3名。商社のビジネスマンの男性が2名。クライアントの女性が1名。
全員こんなところまで来るのは初めてです。期待と不安から機内ではみんなぐったりモード。
アナウンスが流れ、着陸に入りました。窓から見えたものは広〜い褐色の土地にポツンとある小屋。
「あれが飛行場?」
数分後にはその小屋の中で飛行機から降ろされる荷物を待つことになっていました。
そこは、初めての土地、コインバトール。
飛行場を出た私たちに白タクの運転手のような人たちがドっと押し寄せてきました。
その間を強気に「Don't need」と大声で言いながらかき分けていくのです。
分かっているのか、分かっていないのか、そう言われても粘るのか、大声で叫んでも人だかりは、迎えの車まで付いてきました。
迎えに来ていた車に乗るとほっとしたのか、何分もしない間に助手席に乗っていた商社のビジネスマンは早速ウトウトし始めました。
まっすぐに延びる1本道の両側は、まるでサバンナのような光景がどこまで続くのかと思わせるように続いていきます。
時折り何か動物らしきものの影が目の端に映ったような気がしてハっとすることがありました。
ウトウトしては目が醒め、変わらない光景にまた眠りに誘われ、
あまり良くない道の振動も、このときばかりは不思議と心地よくさえ感じて、さっき見た夢の中へ落ちていくのです。
昼の太陽が何となく傾いたように感じる頃、車の振動が変わりました。
窓の外も少し賑やかになっているようで、人の話声が聞こえて来ました。
まず最初に案内されたのは、織物工場でした。
ここにいた責任者のオジサンに私はなぜか気に入られてしまい、ず〜っと側から離れてくれなくてちょっと大変でした。
私はカメラであちこちを撮ってまわっていました。
カメラのフィルムはまだ高級品のようでこのオジサンにねだられ、きっと3本くらいはプレゼントしましたよ。
(横にいてねぇねぇ頂戴?って具合に側に寄ってくるので、そのたびにあげていたのですが。)
このオジサンもかなり個性的な人でした。
ターバンはもちろん、額の赤い印が妙にエロティックな感じで、体格もド〜ンと大きくて、
さらに裾まである白装束が良く似合ってて・・・
おとぎ話に出てくるちょっと悪玉大臣風といった感じなのです。
(これってイメージ湧きますよね?)
そのオジサンと一緒に工場内を見学しました。
工場の機械は旧式ではありますが、機嫌よく動いていました。
そこへ、「ガーン」という大きな音と共にいきなりの停電です。そうなんです。
まだこの頃は電気の消費量と供給量のバランスに差があって、供給が追い付かずしょっちゅう停電が起こっていたのです。
ところが、生地を織っている時に停電にあうと中途半端なところで針が飛んでしまい、生地に傷がついてしまうのです。
傷の付いた生地では商品価値がなくなるため、その傷を修理するベテランの職人がいるほどでした。
しかし停電を起こさないことが信用の第一条件とも言われ、ボイラー等で直発電のできる工場が一流の工場ということでした。
この工場も直発電のシステムを入れた新しい工場を建てる予定があるとかで、予定地を見せてもらうことになりました。
そこは、現在の工場から車で10分ほどのところだったのですが・・・「向こうに見える山の麓までの土地に工場を建てる」と
説明を受けたそこから見える山は遥か向こうで、一体そこへいくためにはどのくらいかかるのか?と思ったほどでした。
その土地に隣接するように村がありました。
その村びとたちはみんな工場の仕事をしているそうです。(というか、村ごと社長さんの持ち物らしいです)
私たちが行くと村人たちは恥ずかしそうに、物陰からのぞいて見ている人、何人かで見に来る人、不思議なものを見るような目をしているのです。
聞くと、外国人を見るのが初めてというのです。私たちが初めての外人!なんだかちょっと照れくさい気分でした。
そんな村で私たちの依頼した糸や生地が出来上がっていたのです。
その村には絵に描いたような光景がありました。
ターバンを巻いたおじいさんが綿からクルクルと糸を紡いでいるのです。
一心不乱に紡いでいるのかと思えば、何気に遠くを見つめるおじいさん。その傍らには犬が寄り添うように伏せていました。
何とも言えない独特の雰囲気に圧倒されながら、クルクル紡ぐおじいさんの横を通り過ぎ糸を染めている現場に足を踏み入れました。
それは、あまりにシンプルなものでした。
染めたい色にするために、いろいろな色の染料を合わせてデータを作って、そのデータに合わせて糸を染めていました。
赤を2グラム・・・それは懐かしい分銅を使った天秤による計りでした。
日本ではコンピューターが計ってくれますが、意外と人の目による計量の方が良かったりすることも多いのです。
なるほど・・・と様々な色の染料を見ながら「この染料はここで計ってどうするのかな?」という新たな疑問が沸いてきたのです。
その疑問はすぐに回答をもらうことができました。
その染料を計った部屋の隣が染め部屋だったのです。
インドの生地はよく色が落ちると言われます。
それは独特な染め方をしているためなのですが、その染めの現場がまさにそこだったのです。
レンガで作った子供が遊べそうなプールがそこにはありました。
そのプールも実はその土地の土を使って作った素焼きのレンガで作ったものだそうです。
そのプールに染料を入れ、水を加えて染めたい色にして、そこへ紡いだ糸を入れて足で踏むのです。
女性や子供たちが踏むことが多いそうです。
特に染めた染料が落ちないようにする薬は使っていないので、染まった製品を洗うと色が落ちるのだそうです。
そりゃ、あれでは色も落ちるわ!!!という感じに自然そのもののやり方をず〜っと続けているようです。
糸が染まって粗方水洗いして、染料を落としてから天日干しをします。
この天日干しがあの独特な色合いにもうひとつプラスしてくれるのです。
均等に洗われていない糸が、同じように均等に干されることもなくランダムな色を残した糸として出来上がっていくのです。
その糸を織った時に、あのインドの独特な生地・・・ガーゼのように薄い生地や甘く織られた楊柳などが出来上がっていくのです。
機織りは別の部屋でやっていました。
サンプルのようなものをこの部屋で作って、大量生産する時は工場でするようです。
私たちが歩いて進むたびに子供たちの数が増えていきます。
物珍しいのか、クスクスなにやら話ながらついてきます。もちろんあの私のファンのオジサンも一緒です。
今後この土地に来ることはないかもしれないと思って、村人たちと一緒に記念撮影をしました。
海外で、それもこんな出張で記念写真を撮ることはそれからも一度もなかったことです。
この写真は帰国後、大きく引き延ばしてインドへ送りました。
今もあの写真はどこかにあるでしょうか?きっとあのオジサンの事務所の部屋に飾られているのではないでしょうか?
さて、その日の夜は村に1軒しかないというホテルに泊まりました。
ところが部屋自体は綺麗だったのですが、トイレの水が全く流れず、思わぬところでインドの洗礼を受けてしまったのです。
ここで役になったのがあの「地球の歩き方」。
トイレの水はトイレに置いてある洗面器に水を汲み(何故かちゃんと洗面器が置いてあるのです)その水を便器に流す・・・
流し方もちょろちょろと流しても流れないのです。思いっきり洗面器に入れた水を便器に「ぶっかける!」という感じです。
トイレでの姿は他の人には見せられません。まあ、こうして解決した次第です。
仕事も終わったし、さあ、ビールでも飲んで、ご飯でも食べよう・・・ということができ
る場所ではなかったのですね、これが。
イスラム教では、アルコールを飲めないんですね。ビール飲めなかったのがちょっと辛かったです。
その上、ホテルのまわりだけ発電機によって電気が付くらしく、夜になるとまわりが真っ暗の中、
あちこちからバイクに乗って大勢の人が集まってくるのです。
そこだけが村中で明るい場所なのです。何をしているのか、楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
段々と騒がしくなってくるのです。その集いは朝まで続き、明るくなって静かになるんだそうです。
普段、夜でもネオンの明かりや家も煌々と付いた明かりの下にいる自分たちの生活と、
こうしたまだまだ不便なことがたくさんある中での生活だけど、何だかあったかいリズムを思わず比べてしまいました。
そういえば、村の子供たちも学校に行っている時以外は大人と同じように働いていたのですが、それも楽しそうな感じだったのを思い出しました。
もしかしたら一生その村から出ることがないのかもしれないけれど、村の中でそれなりに幸せな生活ができるのでしょう。
でも、あのおじいさんやあの犬や(痩せてなかったな!)そこで出逢った人たちの笑顔の中に忘れかけてたものを思い起こさせるようなそんな人々
の顔が印象に残りました。そういう一生もあるのですね。
綿が糸に変わり、糸が染められ、そして生地になり、さらにその生地が服になって人を包み込む。
紙の上での作業では感じられなかった「人工的ではなく、人間の作り出すもの」の本質みたいなものを、
インドという国に触れて感じたのです。服創りの原点みたいなもの・・・。
・・・その時にデザインして作った服は今も私の夏のワードローブのひとつとして大切に使っています、
久しく行かない間に「ボンベイ」という美しい響きの街は「ムンバイ」という名前に変わ
り、経済大国の仲間入りしそうな勢いで発展をしているインドですが、ガンジスの流れの
ような遠い悠久への想いにひととき足を踏み入れたら、いつでも歴史の中の営みに巻き込
まれていきそうな、そんな感覚の国であって欲しいと思うのは私だけでしょうか?
* * * * * * お知らせです! * * * * * *
中之島パノラマ放談会“中之島をいじる”へ参加します!
現在中之島で行われている社会実験イベント「中之島物語、その未力と魅力」の中で
あのシャープのアクオスをデザインされたプロダクトデザイナーの喜多俊之先生を
囲んでの放談会が催されます。
ゲストスピーカーとして推理作家の有栖川有栖さん、大阪近代美術館建設準備室の主任学芸員の橋爪節也さん、
武庫川女子大助教授の藤本憲一先生、DJのKIYOMIさんとなんとこの私、永井純が一緒に参加することになったのです!
かなりドキドキのメンバーでしょ?期待と不安がきっと当日まで続きそうです。
一般参加者もまだ若干受け付けしているようなので、もし興味がおありでしたら是非いらしてくだい。
■開催日 2005年10月30日(日)15:00〜17:00
■会 場 中之島新線インフォメーションセンター(TEL:06-6443-0036)
■参加費(資料代) 500円
■予約・受け付け 「中之島物語」PRセンター 06-6447-7373
この放談会の事は次回のコラムで!
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次回につづく) |
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